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2013/03/08

130307

言いたことが言い難いこと、
そんな素晴らしい言葉を見たので書いてみる。
未熟といわれるかもしれないけれど、
そういったことをいう立場の人ほど
考えて欲しい場合が多い事だったりする。

プロってなんでしょう。

最近プロの人ほど実力がない場合が多いと思う。

昔からそうだったかもしれないけれど、
特に最近は回りでもそんな話での愚痴等も聞くし、
自分も昔からそうだ。

そんなこと言う僕も
その時時で何かのプロなわけで、
「プロ」って言葉が自分の嫌いな言葉で上位に入るほど
昔から悩むことも多い。

業務ならば当然のことをこなせるのがプロなわけだけれども、
肩書きプロが多すぎる。
素人やプロ関係なく得意不得意や能力差が有るのは仕方ないけれど、
その差がありすぎるというか、
なぜそのクラスの物をこなしている貴方が名のあるプロなのかと
問いたくなるような場合が多い。

逆にそれくらいのプレッシャが常日頃から自分は有る。
その心構えを基本的に持ち合わせている事が当然だと思うけれども、
今も始めもそうではない人達が沢山湧いている。

プロという言葉の使われ方は、
立場で使われる場合とは別で、
自己満足やプライドでも使われる。
それが自己満足になってしまっている場合
プロという言葉を引きずってい歩いているだけの人も
中身の無いプロの一つの形だと思う。
「オレはプロだから」発言の半分はこの場合で裏で愚痴られていると思う。

もう一つはプロを根性の道具として使いすぎる人達。
プロはプライドと言う意味は中身での話だけで有って、
プロだけが独り歩きしていては意味を成さない。
プロであるなら努力や一定以上の成果が出るように
計画建てて、しかもその事に慣れていて
詳しく研究していてミスが出ても対処できなければいけない。
少なくともそうしようと努力して居なければいけないと思う。
でも根性論でプロを乱用する人達は、
プロを説得の材料にだけしてしまいがちに思う。
「プロだから出来ます」を中身なしに売り文句にしているだけの場合がそれ。

もう一つはプロという肩書きを
大きい顔して威張りきって利用している状態。
経済的な効果だけを求めた投資家のようにその顔を大きく見せることだけに必死。
これが一番今の時代問題のパターンだと思う。
またそれを無邪気に崇拝してしまっている回りも悪の元凶だと思う。
それは小さな社内という社会等でも、
最近はSNSでもたくさんある。
特にオタクカルチャーや政治家に結構あるパターンに思う。

「立てる」
日本的で昔ならばまとめるために必要だっただろうけれども、
いまそれがひつようかどうか。
逆に立てられている人は「降ろす」こともする。
そんな嫌われ役な立場を作り上げているのは回りの人間なのだと思う。
純粋な実力でも無く、
実力が有ってのカリスマ性でもなく。
名札を豪華にしてきただけのプロと言うのが
今の時代一番問題が大きいなと思う。
アイドルにしろ芸人にしろSNSにしろ商品ブランドやスタジオや個人にしろ、
そんなのばかりが日本では目立つような気がする。

そんなことを考えさせられていて昔から思うのは、
根本的な実力の判断材料にはプロもアマもないってこと。
それが今の日本にはとても足りない視点に思う。
実力で見ずに経歴や肩書きだけで判断する。
それが例えば就職の話で、
大人気の大型企業の色んな人種の人達が集う様な所ならば仕方ないのかもしれない。
しかし現実はその逆で、
大手や実力のある企業ほど中身を見ようと努力する。
この話は当然就職だけではなくて、
人が人を判断するときにも行われる話で、
実力がある人ほど中身を見ようとする。
またそれとは反対に肩書きだけで判断する人は
見る目については努力不足の人達が多いように感じる。
プロについても中身が有るか無いかを判断することが大切だと思う。

プロかどうかは名札でみようとするのは社会活動の時だけで十分であって
決めるのは実力だけだと思う。
実力がなければプロという名札も回りが認めてはいけないと思う。
その実力とは当然技術だけではなくトータルの所。
結局はその時時の成果物を
純粋に判断できる、
肥えた経験や広い視野を多くのお客も持っていないといけない。

「プロにやってもらったのだから良い仕事してもらったんんだ。」
そう思う前に、はたしてお金を払っただけの結果が出ているのか、
冷静に判断できる視点をお願いする方も持っていて欲しいと思う。
厳しいように見えるけど、
それがなければどんな業界もそれぞれの人も向上しないし、
結果として出来上がるものの水準が下がる原因になると思う。

プロじゃないプロを量産してしまっているのは
回りで盲目に崇拝してしまっている自分達だと
気が付かなければいけないと思う。

もし結果が違うと思うならば
回りに流されてはいけない。
自信がなく怖くともしっかり言えなければいけない。
もし何か言って強い反論を返されても納得できるまで話すべきだ。
可能ならば他の所でもお願いしてみても良いとさえ思う。
それが出来なければその島は沈んでいくだけに思う。
お願いしたあなたも、お願いされたプロも、
結果的には何方にとってももったいないと思う。

日本は大好きだけど、
そこの日本らしい湿っ気が高い部分はどうも好きになれない。
そんな湿った部分も有ってもいいとも思うけれども、
良いや悪いをあまりにも流し過ぎだと思う。
自分達がカビ臭くなるような湿度なら無いほうが良い。
チーズや納豆は大好きなのでそっちに転ぶなら有りだと思うけど。


甘えたり経済的な効果を狙っただけの
ある種の「談合」だとも思う。
恥ずかしい独占禁止法違反みたいなものだと思う。
色々なクオリティーが下降してきているように感じるのは
僕だけではないと思うのだけどどうだろう。

成果に関しては付き合いや良い人だからや周りに流されたりとか、
そういうのヤメにしませんか?

本当に良いと思えないのなら、
自分の感性を曲げてまでイイネとか気軽に押すべきでもない。

勿論技術等の話だけではなくて、
僕に一番足りないと思っているコミュニケーション能力や
プロモーションスキル等も含めてがプロだとも思うけれど、
「プロモーションだけで中身が無い」
というパターンがあまりに多すぎます。
アーティストも技術者も商品も。

そこでプライベートやら社会的なことを判断してはいけないと思うのです。

ニュースでは映画やお弁当とかも最近多い様に見えるけど、
実際はそれ以上に
感性や感情に触れる部分で大量に起きている問題だと感じる。

自分もそういった立場になっていたことも有るかも知れないけれど、
そうならないように常に気をつけたいと強く思う。
本当にいつも思ういます。
そうでない場合は責任を負えない場合はしっかり断る。
でも余りにも回りがひどいと思う場合は
自分が言わないといけないのかなと思うことはある。

そんな結果を良くするための自信ならばいくらでも出すべきだし、
自分も自身を持って願い出たいと思う。

良い物は良いし悪いものは悪い。

その時時で答えが変わるのも当然だけれども、
そんな当たり前のことが言えない、
自分で判断できない、
指摘できないならば、
世界が偽物だらけになる。
ある意味中国の模倣品を今の日本は馬鹿にできないのが
今の現状だと思う。

そしてとても危険な状態だなと感じます。
良い物が減ったと感じるならば、
それをしっかりやらないと、
自分が本気で良いと思えるものにも
出会えなくなってくるんじゃないのかなと思います。

逆に本当に良い物さえ出せれば、
必ず気にしてくれる人はいるはずだとも思う。
感覚までも侵食されていなければ。
それを信じて向かって続けるしか無い。
持て余して、くすぶってる暇はない。
プロもアマも新人もベテランも関係ない。

そして結局はお客が受け入れたものが
偽物であれ本物であれ正解になるのも事実。
中身は置いておいて、その結果が良いものという風評になってしまう。

求められるものを出力できるかどうかは、
お互いの気持ちの同期や説明や言葉選び等の
コミュニケーションデザインやスキルの問題でもある。
もしハリボテに負けてしまうのならば、
それは実力が無い事と同じなのかもしれない。

肩書きだけのプロやなんかに媚び売らず、
名声に頼らず利用せず、
実力の剣を振り回して、
どんどん偽物を蹴落として世の中良くしていってほしい。
そう思います。
自分にも課す言葉として。
まだまだ先に進みたい。

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